九州夢の跡

某有名オブローダーに憧れた男

【廃隧道】仲哀隧道

今回は福岡の道路廃隧道としてはおそらく最長の仲哀隧道に行ってきた。
福岡県は決して廃隧道が多い県とは言えないが、この仲哀隧道がある仲哀峠にはなんと新旧三代の隧道が貫通している。 仲哀隧道、新仲哀隧道、新仲哀トンネルのうち初代の仲哀隧道は1889年(明治22年)竣工の明治隧道!!わくわくが止まらねえぜ。

【歴史】

四枚の地図を見て峠の道の変化を見てみよう。
仲哀峠は七曲峠ともいい、一枚目の地図に隧道ができる以前の峠道が記載されている。
二枚目の地図では石炭などの輸送をより簡単にするため隧道が掘られている。もともとの峠道は旧道化しているようだ。
三枚目の地図には新仲哀隧道が載っている。九十九折を通る必要がなくなったことが想像できる。
そして、四枚目の地図。一見すると、仲哀隧道がなくなっただけに見えるが、新仲哀隧道も抹消され、新たに彫られた新仲哀トンネルだけが載っている。

【現地へ訪問】


今回は西側から探検。
隧道に接続する旧道は時間がなかったので車ですっ飛ばしました。(おい)
いつかじっくりと歩きたいと思う。最初期の七曲峠もいってみたいな。

茂みの中にある隧道の存在感。自然と人為の混合とその先の闇。廃隧道のこの瞬間がたまらない!引き寄せられるように坑口へ。

          でっけーーー

美しいレンガの胸壁と大きな石でできた意匠のアーチ、そして要石。
上から垂れ下がる蔦もいい味を出している。ここまで廃隧道した廃隧道はなかなかないんじゃないかってくらい廃隧道。
それにしても昔の福岡県の隧道はこんなデザインが多い。アーチとか要石とか扁額とかが特に。
左には説明があった。大切にされてる隧道のようだ。 全長432m、高さ5.1m、幅6.4m。
その他隧道の名前の由来や歴史が紹介されている。
そしてなんと...

拡張工事がされていただとーーー

てことは当初の坑口はもっと狭かったのか。432mもあるのに????


 
坑口にはフェンスが張り巡らされているが、なんか右のほうに穴が...
(ごめんなさい。)
 
 
   
   

中はひんやり。見たところ崩落もなく、とっても綺麗。もちろん貫通している。福岡は花崗岩の地層が広がっているそうなので、掘るのは大変だが、頑丈なのかもしれない。路面はコンクリート舗装。側壁、アーチ部分は(たぶん)コンクリートブロック。ブロックとブロックの間から湧水が染み出ている。


   
左の写真のように、湧水がひどいところは内部がこんにちはしているが、右の写真ようにきれいな部分も多い。落書きがあるのは福岡だから仕方ないのか?犬鳴隧道よりは全然マシ。
 
 
 
 
 

進んでいくと、奥に素掘りの部分が見える。距離はどれくらいだったかな。たしか体感100~150mくらいだったような。

素掘り部分も美しい!ごつごつしているが、アーチ形を留めたまま続いている。ただ、大型車同士のすれ違いは厳しそう。


素掘りに切り替わるところには穴が開いていた。ダイナマイトを入れる穴か、排水用の穴だろうが、切り替わっているところなのでおそらく前者だろう。    

 
 
  
 

さらに進むと崩落している箇所があった。
崩落は小さいし、ここくらいしか崩落はなく、交通に全く支障がない。

東側に到着。こちらはぎりぎりまで素掘りだった。アーチ部分がレンガで巻き立てられていた。

振り返って撮影。巻き立て部分より奥は広くなり、また狭くなっている。東側も西側同様巻き立てをしようとしたが、岩石を削り取った時点で計画が中止になった可能性が高い。

 
 
 
  
 

妙に四角い石があるな~??   
もしかして側壁の切石か? 真相は不明。

東口はこんな感じ。谷の上から水が垂れて滝のようになってた。左右からの圧迫感がある。デザインは西口と同じ。それにしても綺麗なレンガ積みと立派なアーチ環だこと。
旧道は続くけど時間の関係上戻ります。東側の九十九折りは公園になっていて、桜の名所なんだとか。次来るときは春に来たい。

戻っている間にだんだん明るくなって...感動の光景に!!!  
 
 
 
 
 
 
    夕日が坑口に重なった!!  
 

太陽は毎日沈む位置を変えている。もちろん、この日を狙ってここに来たわけではない。自然の奇跡が、この仲哀隧道の美を最大限に引き出した!
最後まで私を楽しませてくれた素晴らしい隧道だった!

【机上調査編】

机上調査で一番知りたかったのは拡張工事前の隧道がどのようなものだったかだ。現地を歩いてみて、初期のころの遺構はないように感じた。ポータルのレンガとか、明治の物にしては綺麗な気がしたからだ。しかし全体を通して状態が非常に良好な仲哀隧道なら、初代のレンガ積みの可能性もあり得る…!
とりあえずggってみたら旧道倶楽部さんのページがヒット。開いてみると、詳しすぎてもう僕の出番はない!!こちらを読んだ方がよく理解ができるので、おこがましいが、ぜひ読んでほしい。リンクを貼らせていただきます。  

旧道倶樂部活動報告書・仲哀隧道(考察・参考文献)

結局、明治の遺構は残っていなかった。上ページ中の日本土木学会誌第19巻第7号のリンクも貼らせていただきます。

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/19-07/19-7-12097.pdf

幅二間は約3.6m、高さ十一尺は約3.3mである。ただ、断面図を見ると高さの方が長いように見える。 現代からしたら狭いけど、明治の道路用隧道なら普通だと思う。はじめは仲哀谷隧道という名前だったことにも驚き!
そして、拡張工事にダイナマイトが使われていたことが判明。素掘りに切り替わったところにあった穴の正体はほぼ確定した。 しかし、初期の坑門にレンガ積みがあったか、何もなかったかは判明しなかった。

       おしまい